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忘れもしない平成7年1月17日、あの朝は、阪急西宮北口駅近くの自宅におりました。
激しい揺れに目を覚ましたとき、家の中はめちゃくちゃになってました。
でも、もっと衝撃を受けたのは、空が明るくなって外の様子が見え始めたときでした。街はえらいことになっていたんです。
安否の確認、近所のけが人救出、自宅の片付け、知人の見舞い、飲料水と食料の確保・・あっと
いう間に1日が過ぎました。
17日には電車は全部止まってしまいましたが、翌18日から、
阪急電車は西宮北口まで、阪神電車は甲子園まで動き出し、西宮から大阪方面へは行けるようになりました。
JRも19日には甲子園口まで来るようになりました。でも、ここからが大変でした。
以下は私が合間を見て記録した鉄道の被害と復旧の様子です。西宮と神戸が中心となっています。
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地震発生当時の様子
阪急は西宮北口〜夙川で高架が倒壊してしまいました。
今津線は門戸厄神駅の南方にある国道橋と甲東園の新幹線の高架が落下、線路を塞いでしまいました。
その間を走っていた3072Fも門戸の踏切で脱線。もう少し遅くても早くても落橋に
巻き込まれていたわけで、危機一髪でした。
JRは西ノ宮の西方でムーンライトのリゾート客車が脱線していました。
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西宮北口〜夙川の様子 |
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上り線は完全に落橋 | |
避難する人、援助に向かう人が線路沿いを行き交う |
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脱線編成は門戸厄神駅で放置 | |
切り離された3072号 |
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線路に国道の架橋が落下 | |
北口市場も倒壊し瓦礫が線路へ |
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R14客車が脱線転覆 | |
架線柱をなぎ倒している |
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線路沿いの家も倒壊 | |
建てたばかりのPCポールも折損 |
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今津線復旧
門戸厄神で落橋した国道171号の高架を撤去して、1月23日に西宮北口〜門戸厄神を単線で復旧、下り線を使い1編成がハタオリ運用でした。
西宮北口〜今津の南線区間も同時に再開しました。
続いて南口付近で脱線していた2200系を撤去、30日に仁川〜宝塚が復旧しました。
仁川では宝塚方の折返し線を使用、3回折返して宝塚へ向かいます。
2月5日には新幹線の高架の撤去が完了、西宮北口〜宝塚の全線で運転再開しました。
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倒壊した家が線路を塞いだ西宮北口 |
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下り線を上り電車が | |
ワープロ印刷した紙を貼ったものでした |
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一旦中線にバックして折返し | |
手作りの「宝塚−仁川」運転系統板 |
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伊丹線復旧
伊丹駅が倒壊し、当面使えなくなったため、新伊丹駅を折返し構造にして、1月21日より塚口〜新伊丹で再開。
上り線上を仮説ホームとして乗車降車を分ける構造としました。
10分間隔の運転が確保されています。3月11日には伊丹仮駅を設置し営業開始。高架の駅に戻る平成10年まで仮駅営業となりました。
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折返し駅となった新伊丹駅 |
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ワープロ貼紙の「塚口−新伊丹」板 | |
定番ポイントの稲野にて |
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新伊丹の仮設乗車ホーム | |
塚口に貼られた時刻表 |
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御影〜王子公園区間運転
被害の大きかった神戸方面は2月13日に御影〜王子公園が再開。倒壊した三宮駅ビルの撤去作業のため、
神戸方の終点は王子公園になりました。王子公園は上り線に仮説ホームを設置し乗降分離、混雑に対応していました。
御影では神戸方から中線を使って下りホームへ入り折返してました。上り線は留置線として使用。
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王子公園。三宮方に車止めが |
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山陽電車折返用の中線を抜ける | |
「王子公園−御影」板 |
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御影〜三宮区間運転
三宮駅の復旧し3月13日に王子公園〜三宮が開通。運転区間は御影〜三宮に伸びました。やっと神戸の中心に阪急電車が
乗入れます。「がんばろや」マークを掲出。
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上り線に仮設ホームができた御影駅 |
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王子公園駅への進入 | |
幕は「御影−三宮」 |
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夙川〜岡本区間運転
4月7日に夙川〜岡本が開通、岡本〜御影の石屋川橋梁へ続く高架が倒壊しているため、復旧は岡本までとなりました。
使われない車両3両が夙川駅の西方の本線上に留置されていました。
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本線上に放置された車両 |
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芦屋市内を走り始めた阪急電車 | |
方向幕は「夙川−岡本」 |
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甲陽線復旧
線路陥没、法面崩壊の被害を受け、全線運休していました。3031Fが苦楽園口付近に留置されていました。
3月1日に復旧。
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夙川〜三宮区間運転
石屋川橋梁付近の高架も完成し、6月1日に御影〜岡本が運転再開。あわせて神戸高速の花隈〜三宮も復旧しました。
これで夙川〜新開地が結ばれました。
神戸線の全線復旧は6月12日と決まり、記念マークが付いています。
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撮影名所、御影の上り線も使用再開 | |
方向幕は「夙川」に |
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高速線内に残されていた8101F | |
駅のパタパタ「花隈行」表記も見納め |
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西宮北口〜夙川復旧工事
高架橋が倒壊してしまたっため、一旦撤去して作り直す工事を行いました。
夙川駅も上りホームで仮営業を行いながら作り直しました。東川付近の築堤もやりなおし。
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夙川駅も倒壊して作り直し |
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橋桁を撤去した夙川駅の東側 | |
東川掘り下げも実施 |
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壊れた高架橋は完全に撤去 | |
高架を撤去した西田公園のあたり |
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桜の季節、鉄骨が姿を現す | |
深緑の季節、高架橋がほぼ完成 |
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試運転初走行で記念写真 | |
テープカット |
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訓練運転が始まる | |
半年振りの開通を喜ぶ関係者 |
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全線復旧
全線の線路が繋がり、試運転が始まったことで、長く神戸方に取り込まれていた車両が西宮車庫へ戻りました。
「特急西宮北口」も見納め。最終日の6月11日、御影以西で活躍した8006が最終日の北口特急に充当されました。
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順光で走る北口特急 |
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御影を行く開業ヘッドマーク列車 | |
シンプルなヘッドマーク |
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阪神電車
西宮市内では変電所が倒壊したものの、鉄道線路そのもの復旧は早く、1月23日には神戸市の青木まで開通しました。
逆に神戸市内は被害が甚大、特に石屋川付近は高架橋だけでなく車庫まで倒壊していました。
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甲子園駅に貼られた代行輸送の案内 |
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特急退避がなく本線側に入線。プールにて | |
幕は珍しい「普通甲子園」 |
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青木まで開通。出屋敷にて | |
貫通窓にも「梅田−青木」 |
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貴重な8901の青木急行 | |
当初は急行にも貫通路に表示 |
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下り青木行の幕表示は「御影」、 | |
方向版は「青木−梅田」 |
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貫通路の表示はなくなった | |
「梅田−青木」方向版 |
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8000系は車掌側のマーク受けに表示 | |
特急「梅田−青木」表示 |
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3100型の特急「梅田−青木」 | |
丸い方向版が印象的 |
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御影開通
住吉付近の高架の修復が終わり、2月11日から御影まで乗入れるようになりました。2月一杯は
特急は下りは青木折返し、上り芦屋発となりました。御影まで行かないためか、下りの「特急御影」表記が白幕となりました。
3月1日からは特急も御影発着になり、味のあった「梅田−青木」表記はなくなりました。
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下りの特急は特急マークと「青木−梅田」板だけに |
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3105Fの御影特急 | |
千鳥橋にて |
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日中の御影特急は貴重 | |
3102号の雄姿 |
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板車5311Fの御影普通 | |
貴重な日中の御影−梅田方向版 |
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甲子園輸送
この年の選抜高校野球は、道路事情も未開通であったことから、応援団は大阪から電車で移動することとなり、
送込みの甲子園臨特が終日運転されました。普段は試合終了時に走るため撮りにくかった臨特が日中走り回ることから、愛好家の話題になりました。
また、例年通り特急マークはセンバツ板となりましたが、御影行のセンバツは大変貴重なものとなりました。
タイガースのオープン戦の際も送込みの臨特が運転されています。
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丸い臨特板 |
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既に貴重になっていたセンバツ特急板 | |
御影行きで登場 |
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珍しい送込み臨特。プールにて | |
オープン戦の送込み臨特 |
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タイガース板をつけて甲子園を行く | |
特急御影タイガース |
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岩屋、西灘折返し系統
神戸市内の地下区間は2月1日に三宮〜高速神戸で運転再開。6日には新開地まで行くようになります。
そして2月20日に阪神三宮〜岩屋、3月1日に阪神岩屋〜西灘が復旧、地上に顔を出すようになりました。
幕は使わず方向版を掲出し、注目されていました。雨に当たらない地下線でしたが、車庫へ行けない電車は汚れていました。
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「岩屋−新開地」の方向版 |
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折返し構造になっていた西灘駅を発車 | |
電車の汚れに苦労が忍ばれます |
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急行用3206Fも折返し運用 | |
赤胴車に似つかわしくない仕業に専念 |
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高速神戸で発車を待つ西灘普通 | |
即席の方向版は震災の象徴 |
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御影〜西灘開通
石屋川車庫が倒壊したため、入りきれない電車は尼崎市内の空地に疎開していました。修理不能と判断された電車はここで廃車になったそうです。
6月26日より御影〜西灘の運転開始。全線復旧しました。フェニックスのマークが短期間取付けられました。
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埋立地で再起の時を待つ |
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石屋川から御影方を臨む | |
西灘付近でも復旧作業が進む |
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全線開通に向けて試運転 | |
開通日に取付けられたフェニックスのマーク |
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山陽電車の須磨浦折返し
自社線は塩屋付近の高架倒壊により滝の茶屋〜須磨が不通、高速大開駅が陥没したため、
高速へ乗入れられなくなり、板宿以東で運休していました。
4月18日に須磨浦公園まで復旧、板宿〜須磨浦公園の系統が登場しました。
山陽電車には須磨浦折返しがないからか、幕も入っていないんですね。
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開通の日程を知らせるポスター |
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板宿〜須磨浦公園系統 | |
窓に貼った紙表示 |
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山陽電車の方向板
高速線内でトリコになっていた3640Fは、阪神西灘系統で活躍しました。
特急は当初は姫路〜滝の茶屋で運転、上りの行先表示は白幕でした。
6月16日に滝の茶屋〜須磨浦公園が再開、18日には地下線が完成し高速長田〜姫路が
つながりました。しかし、上りの特急は白幕のままでした。
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山陽の方向板も貴重 |
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普通は姫路〜霞ヶ丘で折返し | |
霞ヶ丘幕表記 |
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3000系の長田特急 | |
白幕で残念 |
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山陽電車のタブレット
東須磨〜板宿は単線1閉塞となり、なんとタブレット閉塞。タブレット交換のシーンは愛好家の注目を集めました。
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神鉄電車
鈴蘭台以北は1月19日に運転を再開(有馬温泉を除く)。20日に北神急行が開通したので新神戸までは来れるようになりました。
2月7日には長田まで再開しましたが、湊川トンネルの補修に長期を要し、6月22日まで長田折返しが続きました。この間は優等列車は設定されていません。
方向幕に長田表記がないため日除けにクリップで「長田」と書いた紙を張っていました。
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長田駅の時刻表 |
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5連で長田を目指す | |
クリップ留めの「長田」表記 |
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土嚢が詰まれた線路を駆け下りる | |
復旧工事の進む長田で折返す |
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JR神戸線
倒壊した六甲道駅を挟んだ、灘〜住吉間を最後に4月1日に全通しました。
灘行、住吉行のほかに芦屋行の表記も見られました。山陰、伯備、加古川線経由の迂回運転が行われ、愛好家の注目を集めました。
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復旧直後の西ノ宮付近。線路も架線柱もへろへろ | |
住吉の渡り線も撤去 |
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但馬のキャンペーンが始まりました | |
保守車も本線上に登場 |
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脱線機関車
被害を受けたのは営業用の鉄道だけではありません。神戸市本山交通公園で保存展示されていた蒸気機関車、
石原産業のS108号は転覆してしまいました。
処遇が心配されましたが、元に戻されました。
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地震から早くも15年が過ぎました。鉄道が全通するまでの半年間、電車のありがたさを痛感したことを思い出します。
阪神電車は姫路へ、奈良へつながり、近鉄電車が神戸までやってくるようになりました。
当時追いかけた電車の中には既に引退したものも多くあります。方向板を使う電車も少なくなりました。
今見直すと貴重なシーンもあり、15年を機に公開することにしました。地震を体験した方には懐かしいシーンもあるかと思います。
知らない方にも見ていただければ幸いです。
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