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★三浪津
初めて韓国へ渡ったのは昭和57年の10月でした。船が大の苦手なくせに、関釜航路
で一晩かけて渡りました。安かったからです。で、釜山から汽車に乗り降り立ったのが三浪津。鉄道
が分岐する交通の要衝ですが、駅前から少し歩くと長閑な田舎でした。ここで撮ってると、踏切番の
職員と仲良くなってしまい、なんと、踏切小屋に泊めてもらいました。 「ありがとう」は「かむ
さはむにだ」 |
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韓国を代表する超特急、20
系もどき?セマウル号 | |
アメリカ型の機関車が引っぱ
っていました |
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★水仁線
昭和59年には廃止が噂されていた水仁線へ行きました。水原の機関区でSLを発見、
撮らせてもらいました。日本語が達者な年輩の駅員が出てきて、他の職員に「日本の人は鉄道の写真
を撮るんだ」とか説明していました(多分)。沿線では線路沿いに穴が掘られていて、中には兵隊が
隠れていました。鉄橋を見張っていたみたいです。写真は快く撮らせてくれました。 水原でも、
「ありがとう」=>「かむさはむにだ」 |
762mmの水仁線。キハ1
7もどき。 | |
水原で見つけた日本時代のS
L |
★京義線
ソウルから北の新義州へ向かう京義線。板門店を挟んで分断されていることはあまりに
も有名です。当時は日本製の気動車が走っていました。沿線も車中も兵隊が多かったです。線路の両
側には有事に北側の侵入路を塞ぐために築堤が造られていて、登ってみると、俯瞰撮影に最適でした
。やっぱり警笛を鳴らされました。^^; ・・こんなとこに登ってはいけませんね。「ごめんなさい
」は「みあなむにだ」 |
韓国のキハ20は高運転台
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築堤を落として、線路を塞ぐ
ようになっています。 |
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