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■琴電塩江線廃線跡 |
令和3年7月3日(土) <<前のページ 次のページ>> |
ええっと、戦前の話ですねんけど、仏生山から塩江温泉まで、琴電の支線が通ってたんですわ。戦争で鉄を供出するために昭和16年に廃止になってます。遺構がそこそこ残っている、言うんで、歩いて見ましてん。
まずは、仏生山から琴電バスで塩江まで行きましょう。塩江からスタートしますねん。え、逆やんかって?。下り坂のほうが歩くの楽ですやん。
ちなみに、琴電バスは線路跡とは全く違うところを走ります。[時刻表]
さて、塩江のバス停から橋を渡って、右奥が塩江駅跡なんですわ。今は病院の駐車場になってます。この辺ですわ。[地図]
では、仏生山行、発車~!いかにも線路跡ですよ~、みたいな勾配とカーブと道幅ですな。
お、対岸に謎の筒が!何やあれは?。ロケットの発射台かいな?。違いますねん。橋桁が1本残っているんですな。
川を越えて、いきなり山をトンネルで抜けてますねん。長~いトンネルが残っています。岩部トンネルですな。ここですわ。[地図]
岩部のあたりは線路は田んぼや中学の体育館になってしまい、痕跡はわかりません。集落を抜けて川沿いの道を行くと、ん?。川の中に怪しい構造物が。1コ、2コ・・わ、6個もありますわ。
おお、よく見ると、橋脚のようですな。
でもちょっと変でっせ。この橋、川の向こう側へ渡ってないんですわ。崖っぷちを通っていたんで、こういう橋を渡したんでしょうな。
[地図]
しばらく行くとまたまたトンネルが。御殿場トンネルですな。ここですわ。[地図]
ささ、トンネルを抜けましょう。ゆる~いカーブが鉄道っぽいですなぁ。
お、何やこの、お地蔵さんの跡みたいなんは?。退避所なんですな。鉄道トンネルやったことの証拠ですわ。
さて、そろそろ一休みしましょうか。お、中村駅に着きましたで。ホームが残っているんですな。
塩江線については私がごちゃごちゃ書くより、この案内板を読んどいてくださいな。
中村を発車して、しばらく行くと、橋脚が2本見えてきます。この橋も川を渡らない橋ですな。はい、パチリ。
列車が走っていたら、名撮影地になってましたやろな。
ここですわ。[地図]
続いて、短いトンネルを抜けます。中村トンネルですな。ここですわ。[地図]
トンネルを抜けると橋脚が残っています。バスの中村停留所で降りて川を渡ったところですわ。
ここから先、1キロ余りは線路跡が道路になっています。その先、安原、関あたりの線路跡は農地になって消えているところが多いです。
関駅の近くに農業水路が線路をくぐるところが残っていました。線路っぽく見えます?。この手の遺構はちょこちょこ残っています。
関の鉄橋を渡りましょう。橋は架け替っていますが、橋脚の土台は鉄道時代のものなんですわ。
列車から見た景色はこんな感じやったんかなぁ。ここから鮎滝まではほぼ道路になっています。
鮎滝に到着~。ちょうどお昼時ですな。さあ、うどんを頂きましょう。
対岸の「土居食堂」さんへ。きつねで一服。ここですわ。[地図]
鮎滝から岩崎までもほぼ道路になっています。でも、岩崎から川東あたりは農協や消防署、農地や住宅になっていて、線路跡をたどるのは難しいですな。
ちなみに、郵便局の裏の緩く曲がった道は一見すると線路跡っぽいですが、ただの道路ですので念のため。[地図]
線路跡が道路になっていない岩部、安原、関、岩崎、川東あたりの地図を貼っときますんで、ご参考に。[地図]
川東の町を抜けて、てくてく歩いて、峠のところに加羅土トンネルが残っています。龍満池バス停の近くですわ。しばし見物。
レンガがええ味出してますなぁ。
仏生山側の出口。ここから線路跡は道路になっています。ここですわ。[地図]
トンネルから先は通称「ガソリン道」と呼ばれています。いかにも線路跡っぽい道が仏生山まで続きます。[地図]
お、電車が見えてきましたで。終点、終点~。仏生山で~す。
ここからは線路跡が線路になりますねん。
仏生山からは琴電に乗って瓦町へ。はい、ゴール!。乾~杯♪
温泉→焼肉食べ放題、昭和の旅。いかがでしたか?
「いや、ゴールは焼肉より温泉のほうがええ!」言う方は、仏生山から逆向きに歩いてくださいな。
ではでは~♪
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