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電鉄倶楽部芦屋
磐梯急行電鉄
令和5年8月30日(木)
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えっ?磐梯急行電鉄?そんな電車あったんかいな?と思いはるでしょ。電車違いますねん。電化する構想やったらしいんですが、電化する前に廃止になりましてん。
ほんまは会津磐梯山の梺を走る762ミリゲージの非電化私鉄で、昭和43年に会社が倒産して休止、そのまま翌年に廃止してしもたんですわ。
こんな感じですかな。


こちら時刻表。 (※1)

昭和36年版の時刻表で「日本硫黄沼尻鉄道」となっていますね。沼尻にあった硫黄鉱山をやめることになって、昭和42年に「磐梯急行電鉄」に改称したんですな。

と、言うわけで、終点の沼尻から国鉄連絡駅の川桁まで、辿ってみましてん。え?なんで終点から行くんかって?標高が高い方から行ったほうが、下り坂で楽ですやん。

はい、まずは沼尻駅。当時の駅舎の建物が残っています。

[地図]廃止してすぐの時期に、ちょこっとだけ移設して、向きが変わっています。元々は南を向いていたのが、今は西を向いています。

近くに案内板が。

ではそろそろ行きましょうか。川桁行き、出~発~!

お?、あれはなんや?


おお、鉄橋や鉄橋や。

廃止から55年、ひっそりと眠っているんですなぁ。
川桁側からも、パチリ。

[地図]
鉄橋の先はちゃんとした線路跡が続きます。ささ、どんどん行きましょ。


あら、通行止めですな。

動物が農地に入って来るんで、電気柵で塞いでいるんですな。
[地図]
と言うわけで、ちょっと迂回。再び線路跡に出ましょう。
おお、ええ感じの線路跡ですなぁ。

[地図]
蕎麦畑と吾妻富士を入れて、パチリ。


ひょっこり列車がやって来そうな、雰囲気ですな。


ひょっこりと、列車に来てもらいまひょか。

同じ時期に廃止になった井笠鉄道のホジ9号に友情出演してもらいましてん。

線路跡チックな、カーブですな。

でも、カーブの先で線路跡はおしまい。[地図]
この先は圃場整備のため、線路跡は消滅しています。
木地小屋駅跡へ到着。この付近の線路跡は国道になっています。

[地図]

木地小屋の集落で赤い貨車を発見。

磐梯急行とは関係ないんですけどね。

木地小屋から酸川野を経て名家付近まではほぼ国道に飲み込まれています。名家駅付近は農地になり痕跡はありません。
川を渡って樋ノ口駅へ降りるあたりは町道になっていて、緩いカーブの坂道に、かすかに鉄道の雰囲気を感じます。

[地図]
交換駅やったんですな。


樋ノ口の集落を抜けると、川桁の手前まで、広い県道になっています。
各駅があったあたりには案内板が設置されています。


線路跡の県道は川桁の集落に入り、いきなり狭い路地に変わります。築堤の雰囲気が鉄道っぽいですな。



[地図]
線路跡の路地は集落を抜けて川桁駅跡に到着。

[地図]
川桁駅前では昭和の名曲「高原列車は行く」の歌碑が迎えてくれました。

磐梯急行電鉄線路跡めぐり、無事に終了~。

さてさて、ちょっと寄り道を。隣の猪苗代町にある「緑の村」にDC121号機関車、ボサハ12号、13号客車が保存されています。車内に入ることもできるんでっせ。





[地図]
「ボ」はボギー車の意味らしいですな。

昭和43年の休止から55年。それでもいろいろ残っているんですなぁ。

ではでは~♪



※1:日本交通公社、昭和36年10月号(復刻版)
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