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西大寺鉄道廃線跡探訪
令和4年7月6日(水)
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ええっと、7月6日は「ナローの日」なんですな。で、ナローの廃線跡を歩いて見よか、と言うことで、西大寺鉄道へ行って来ましてん。

「どこやどこや、西大寺鉄道って、どこや」と言うのも無理ありませんな。なんせ60年前の昭和37年9月に廃止されてますからな。 今は岡山市東区になっている西大寺市から、後楽園まで。11.4キロを走っていたんですな。軌間は914ミリでしてん。
こんな感じですかな。



当時は赤穂線はまだ工事中やったんですわ。で、赤穂線が開通して、入れ替わりに廃止になっています。
岡山方は岡電の番町線があったので、後楽園で乗り次いで中心部へ行かれるようになってたんですな。

と、言うわけで赤穂線の西大寺駅へ降り立ちます。ここから西大寺市駅まで行きましょう。 JRの西大寺駅は思いっきり町はずれにありますねん。駅前通りをまっすぐ500メートル、右折してさらに500メートル。歩くと15分ほどかかります。
西大寺市駅に到着。跡地は大きなバスターミナルになっています。

[地図]

お?あれは何や!
わ、キハ7号ですわ。きれいに保管されていますなぁ。


車内もきれいですなぁ。


ポイントを入れ換えて~


後楽園行、出発~進行~!


と、言うわけで、な、何と、後楽園まで歩くことになりましてん。

■13:26 西大寺市駅を出発。
西大寺市を出て最初の2.3キロは、歩行者自転車道となっていますねん。簡単に辿ることができますわ。

[地図]

■14:07 廣谷駅に到着。
ちょっと休憩しましょ。駅名標と案内板があります。


ほう、交換駅やったんですなぁ。

[地図]

廣谷を過ぎて500メートルほどで、線路跡の歩行者自転車道は集合住宅に突き当り。楽ちん探索はここでおしまい。ここからは痕跡を探しながら進みます。 反対側へ回ってみましょう。
おや?、これは?

これは橋台の跡ですな。ガーダーを固定していたボルトも残っています。
[地図]

ここで線路跡は大きな民家の敷地に吸い込まれています。裏へ回って見ましょう。どこやどこや、線路はどこや。
おお、微妙にゆるりと右カーブしている民有地が。これは線路の地形ですな。自動車がいるところが、線路があったとこですわ。

[地図]

ささ、進みましょう。お、あの謎めいたカーブの敷地は、ひょっとして。
おお、まさしく、これは線路跡ですわ。大きくカーブしながら設備会社の敷地へ突っ込んでますねん。

[地図]

設備会社の反対側から見たとこ。トラックが停まっているところが線路があったとこですわ。

[地図]

この会社の資材置き場を通り、中学の校庭をかすめて県道に合流。歩道橋のちょっと北側が大多羅駅ですわ。県道沿いに駅舎を改造した建屋が残っています。今は目黒集会所になっています。ぱっと見、ただの古い家ですけどね。

■14:45 大多羅駅を通過。
線路跡はここからは県道に化けて消えています。庄内川を渡るあたりからは道路から外れます。コンビニの敷地になって、その先は住宅の裏を通って、環境業者、自動車整備工場の敷地に。この付近は完全に消滅しています。
自動車整備工場を抜けると今度は並行する市道の歩道部分になります。

■15:04 長利駅に到着。
駅の跡は小さな公園になっていて、駅名標があります。


駅名標の裏には当時の写真が掲示されていますねん。

[地図]

長利からしばらくは県道の歩道になってます。500メートルほどで、またまた民家に突っ込んで途切れてしまいます。
歩道が線路跡で、民家の所から右へ緩くカーブしてましてん。

[地図]

国道を越えてパチンコ店の駐車場へ。花店との境界に沿って線路が通ってましてん。
柵のこっち側が線路跡ですわ。この辺は何も残ってません。でも、どこを走っていたかは地割で何となくわかるんですわ。

[地図]

線路があったとこはゴム工場の敷地を抜けて、住宅団地の中へ続きます。宍甘第4遊園地の西半分が線路があったとこ。ここからちょっとだけ道路になっています。
宍甘第4遊園地から財田方向を見るとこんな感じです。

[地図]

財田駅の西大寺方は農地になっていて、線形がくっきり残っています。左へ大きくカーブして、今の東岡山駅の駅前広場があるあたりへ抜けていました。

[地図]

■15:41 財田駅に到着。
東岡山駅の駅前広場の一部になっています。痕跡は見当たりません。
ここでちょちょっと運転停車。休憩しましょか。

■15:57 財田駅を出発。
ささ、あと半分、頑張って行きましょ。財田の岡山方は工業団地になっていて、完全に消滅しています。

工業団地の反対側の乙多見集落へ回ってみましょう。それらしい斜めの細長い空地が現れます。お、線路跡にコンテナが置かれていまっせ。

[地図]
災害時の備蓄用に使っているみたいですわ。これが鉄道の貨車やったら、名所になるんですけどなぁ。

この先、線路の跡は公会堂や農地になっています。農地を抜けたところに、怪しい石橋を発見。下を覗いてみましょう。
おお、やっぱり、鉄橋の跡ですわ。

[地図]

ここからしばらくは道路になります。知らんかったら、ただの道ですな。


■16:43 大師駅に到着。
サヨナラ列車の写真が展示されています。

[地図]

大師駅から300メートルほどで、またもや住宅団地に突っ込みます。
住宅団地の反対側へ出ると、おお、ちゃんとした廃線跡があるではありませんか。

[地図]

そして、またまた鉄橋の跡が。

[地図]

■17:20 藤原駅を通過。
藤原駅跡はタクシー会社の敷地となっています。
この先、百間川を越えますが、当時の様子は全く残っていません。と言うのも、西大寺鉄道が走っていた頃の百間川は、普段は水が流れていなくて、もっと低い堤防しかなかったんですわ。昭和50年代に大改修され、今の堤防ができましてん。

■17:39 原尾島駅に到着。
百軒川の岡山方に原尾島駅がありました。右の路地の所が線路で、工事してる家の先にホームがありましてん。

[地図]

原尾島を過ぎると住宅地に変わり、線路跡はほぼ消滅。並行している西国街道を歩きましょ。

■18:00 森下駅に到着。
このあたりはバスの車庫になっています。左の道路は旧西国街道。線路の跡と違いまっせ。一番右のバスがいるところが線路でしてん。

[地図]

さ、あと一駅、もうひと踏ん張り、行きましょか。森下駅を出ると、右に大きくカーブします。今は路地みたいな道路になっています。

[地図]

カーブして800メートルほどは道路になっています。そしてラスト400メートルを残して線路跡は消滅。住宅やホテルの敷地になっています。

■18:25 後楽園駅へ到着。
終点~終点~。西大寺市から徒歩5時間の旅でした。あ~~しんど。ところで、列車は何分かかってたんかな。昭和36年の時刻表を見てみましょう。

ほう、列車は30分で走っていましてんなぁ。

後楽園駅の跡は今は竹久夢二美術館になっています。面影はありません。

[地図]

いやぁ、今日は歩きましたなぁ。お腹が空きましたなぁ。
と言うことで、焼肉食べ放題で乾杯!

今回も倉敷市駅前の「焼肉酒場 へいや」さん。[地図]

あ、そうそう、両備バスさんから詳しいガイドが出ていますんで、参考にしてくださいな。
[こちら]

ではでは~♪
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