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■出石鉄道 |
令和6年7月18日(木) <<前のページ 次のページ>> |
ええっと、出石鉄道に来てますねん。
?えっ? でいし鉄道? それ、どこやどこや?
あのね、出石は「でいし」違いまんねん。「いずし」て読みまんねん。
山陰線の江原から出石まで。11.2キロほどの路線でしてな。
こちら、昭和15年の時刻表ですわ。 ※1)
1日9往復走ってます。途中駅での列車交換はありませんな。北丹鉄道や加悦鉄道より本数は多かったんですな。
戦時中の昭和19年に線路と鉄橋を供出して休止になりましてな。戦後も復活することなく廃止になったんですわ。
出石駅は街の西はずれ、出石川を渡ったところにありましてん。
では、江原まで、出発~!
出石駅を出て少し行くと、線路跡の農道が現れます。ゆる~いカーブがいかにも線路跡ですなぁ。
[地図]
でもこの農道、200メートルほどで途切れてしまいます。出石方を向いて、パチリ。
[地図] この先1キロ余りは、平成7年頃から行われた土地改良のため、線路の痕跡は完全に消滅しています。しかも、菅川を渡るとこで行止まり。
でも、ここで諦めたらあきまへんな。反対側の鳥居駅方から探検しましょ。
おおおおお、由緒正しい廃線跡!
全く手つかずの状態です。
[地図]
鳥居駅手前から見下ろして、パチリ。
[地図]
ちょっと削られてますけど、線路跡の築堤です。
なぜか、山羊君がいます。
鳥居駅があったところ。
側壁がホームみたいでええ雰囲気ですな。昔はこの辺に本物のホームが残っていたそうです。
鳥居駅の先は左へ大きくカーブしています。
[地図]
ふふふ。線路跡っぽくなってきましたで。
[地図]
ええ感じ。今も走っていたら、撮影名所でしょうな。
試しに、走らせてみましょう。
次の島口駅は小坂小学校のあたりにありました。痕跡らしきものは何も見当たりませんので通過しましょう。
小坂村駅に到着。お?何やあれ? あやしい物体を発見。
どうやら、ホームの一部ですな。手前のアスファルトで埋まっているところに、線路が敷かれてたようですな。
[地図]
小坂村駅から次の中筋駅までは峠越えの難所でしてん。国道の南側を築堤でじわじわ上っていたんですが、既に撤去されています。
峠のてっぺん付近に到着。これ、わかりますやろか。道路から左へ分かれる空地が線路跡ですねん。
こうしたらイメージできます?
[地図]
ここから中筋駅までは南側の丘を築堤で大回りして下っていたんですが、昭和50年代の土地改良で撤去されています。
昭和51年の空中写真で見ると、線路跡がはっきりわかりますわ。※2)
中筋駅のあったところはバス停になっています。
[地図]
ちょっと田舎電車の駅っぽい雰囲気ですな。ささ、江原まであと2駅。頑張って行きましょう。
おお!これは!
市谷側橋梁の跡ですな。正しい遺構を発見!
出石側の橋台はちょっと改造されています。
[地図]
線路跡の農道を、パチリ。
[地図]
橋梁の片割れを発見。
上ノ郷川鉄橋ですわ。ん~、かなり壊されていますなぁ。
[地図]
ここから上ノ郷駅までの線路跡は昭和60年代の土地改良で消滅しています。
上ノ郷駅跡へ到着。植村直己さんのご実家近くです。
左側の道が線路跡、車庫があるところが駅の跡地なんです。
[地図]
植村直己さん、出石鉄道が休止になった時、3歳なんですわ。乗ってはるかな?
ささ、江原まであとひと駅。頑張って行きましょう!
上ノ郷駅から丸山川の鉄橋までは広い道路に化けています。
[地図]
丸山川の鉄橋に着きました。おお、出石側の橋脚が残っていますわ。
[地図]
でも、草木が多くて見にくいなぁ。
江原側からも眺めてみましょう。
川底に何やら、橋脚の亡霊が、見えますわ・・・
さて、ゴールの江原駅までもうひと歩き。江原の町なかは線路跡は消滅していますが、区割りの形や路地で何となく辿れます。
江原駅近くで小さな橋台を発見。
[地図]
江原駅に着きました。お疲れさまでした~!
出石へは江原の他にも、豊岡と八鹿からも全但バスが走っています。
ええっと、出石鉄道の全線を歩くと4時間近く掛かります。道中にはコンビニはおろか飲料自販機もありません。トイレもありません。計画的に行ってくださいな。
ああしんど。
打上げは豊岡の武藤道場さんへ。
焼肉食べ放題で、乾~杯~!
[地図]
ではでは~♪
※1 日本交通公社時刻表復刻版 昭和15年10月号
※2 国土地理院空中写真 https://mapps.gsi.go.jp/
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