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■鹿児島交通続き |
令和6年10月31日(木) <<前のページ 次のページ>> |
さてさて、鹿児島交通の廃線跡めぐり。やっとこさ上日置へ着きました。
路線図をもう一度。まだひと駅しか来てへんのですな。
ささ、とりあえず、次の日置まで。頑張りまひょ。きばいもんそ。
と言うわけで、上日置駅を後にします。
おおお、信号機の跡を発見。
[地図]
上日置駅を出ると築堤が続きます。
[地図] んん~、ちょっと通りにくそうですな。ここも迂回しましょか。
県道へ迂回して反対側へ出ました。親切な案内板があります。
[地図]
伊集院の方へ線路跡を進みますが、藪で行止まり。
[地図]
案内板の所から枕崎方へ100メートルほどは、道路の付替えの際に築堤が削り取られていて、線路跡は消滅しています。
小学校跡の公民館の裏あたりから廃線跡が残っています。
[地図]
公民館裏から上日置側をパチリ。カーブがええ感じ。
[地図]
線路跡はじわじわと高度を下げて行きます。
[地図]
この先、県道と大川を渡る鉄橋があったんですが、藪がすごくて痕跡は見えません。線路跡は徐々に高度を下げ、町道、農道と並走する細長い草むらとなり、日置駅へ続きます。日置駅の跡地は造成され住宅地になっています。
おおっ?あれは?
わ、給水塔ですわ。こんなん残ってたんですな。
ちょっと観察しましょう。んんんん、ええで。
[地図]
日置から次の吉利の手前までは手つかずの築堤が残っています。
いやぁ、由緒正しいは線路跡ですなあ。撫でてみたくなりますな。
[地図]
いやいや、これは寝っ転がってみたくなりますわ。あかんあかん。
吉利駅の手前から線路跡は自転車歩行者専用道となります。
ここから伊作の少し先までは自転車歩行者道が続き、容易に痕跡を辿れます。
吉利駅に着きました。ホームの一部がモニュメントになっています。
次の永吉に向かいましょう。延々と自転車歩行者道が続きます。
なかなかええ感じのカーブですなぁ。
[地図]
永吉川の鉄橋は橋脚が残っています
[地図]
適当に古びれて、史跡っぽくなってますな。
永吉駅もホームの一部が残されています。
説明板に当時の写真がありました。
次の吹上浜は駅名標のモニュメントが設置されています。このあたりから薩摩湖駅付近は公園として造成され当時の面影はありません。自転車道は大きくカーブして伊作の街へ降りて行きます。伊作駅跡は図書館になっていて、駅の面影はありません。伊作を過ぎて1.2キロほどで伊作川に突き当り自転車歩行者道は終了。ここから先は2車線の広域農道となり鉄道の面影は全くありません。
南吹上浜駅跡のモニュメント。[地図]
北多夫施のモニュメント。[地図]
南多夫施、阿多の駅跡にも同じ書式のモニュメントがあります。南多夫施には貨物ホームの一部が残っています。阿多駅の手前で広域農道は終了。阿多駅跡には市営住宅が立っています。
阿多駅跡から伊集院方向を眺めてみます。
[地図] 阿多は知覧線が分岐しとったんで、ちょっと広い駅でしてん。奥の2車線の広域農道のところから、手前にふわ~んと広がる感じ、分かりますやろか。
阿多から先は生活道路に化けています。田んぼへ降りたところで線路跡は消滅。
万之瀬川の鉄橋があったところは橋脚の根元がひっそりと残っています。
[地図]
ここからは区画整理された市街地になり、線路跡は消滅、加世田駅構内は大型の商業施設とバスターミナル、車庫になっています。当時の雰囲気もありません。
加世田を過ぎると、いかにも線路跡~な細長い空地が現れます。
[地図]
上加世田方面を見ると、おお、これは!
踏切が残っていました。
あららら。そろそろ時間切れですわ。もう鹿児島に戻らんとあきまへんねん。今回の探索はここでおしまいにします。
そうそう、加世田駅跡地のバスターミナルにはDD1201と4号蒸機が置かれていますねん。今回は時間の関係で立ち寄らなかったので、3年前に撮った写真を参考までに。
(令和3年11月27日撮影)
鹿児島に戻って、天文館の焼肉なべしまさんで、乾杯!
いやぁ、頑張って加世田までは到達できましたな。終点枕崎までの続きはいつか機会があれば。
明日は知覧線見に行きます。
ではでは~♪
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